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なぜ20~50名規模の企業で労務トラブルが起きやすいのか

「最近、退職が増えてきた」 「管理職と現場の間に溝がある」 「就業規則はあるのに、なぜかトラブルが起きる」 こうした課題が表面化しやすいのが、20〜50名規模の企業です。 一般的に10数名程度までは社長の目が届きやすい一方、50名を超える頃からと管理体制を本格的に整備する企業が増えてきます。 しかし20〜50名は“成長途中で組織化が追いついていない”最も不安定なフェーズなのです。 では、なぜこの規模で労務が崩れやすいのでしょうか。 理由① 制度と運用のズレ 多くの企業では就業規則など規程関係はある程度は整っています。 しかし制度と現場での実際の運用にズレが生じているケースが少なくありません。 会社が急成長すると、労務管理が後回しになりやすい。 結果として「書いてあること」と「やっていること」が一致しなくなる。 このズレは、未払い残業代請求、労基署調査、退職時トラブルで一気に表面化します。 20〜50名規模は、このズレが最大化しやすい段階です。 理由② 中間管理職の未成熟 20名を超えると、社長一人では管理が難しくなります。 そこでプレイヤー上がりの社員が管理職になるケースが見受けられます。 しかし、マネジメント教育が十分でないと ・労務知識がない ・評価基準が曖昧 ・感情で指導してしまう という状態が起こりがちです。 「悪気はないが不適切指導」 「指導のつもりがパワハラ認定」 こうしたリスクが表面化しやすくなるのも、この規模帯の特徴です。 人が増えたのに、マネジメント教育が追いついていないのです。 理由③ 社長の統制力が物理的に落ちる 10数名までは、社長が全員の働き方を把握できます。 しかし20名を超えると、現場の実態が見えにくくなります。 ・誰が何時間残業しているか ・有給がどう運用されているか ・不満がどこに溜まっているか 見えないまま、組織は拡大します。 そしてある日、 「突然の退職」「内部通報」「労基署調査」という形で表面化します。 これは能力の問題ではなく、構造の問題です。 では、どうすればよいのか 20〜50名規模は、 “偶然うまく回る段階”から “設計しなければ崩れる段階”へ移行する時期です。 必要なのは、 ・制度の再設計 ・運用の棚卸し ・管理職の役割明確化 つまり「人に頼る運営」から「仕組みで支える運営」へ移行するための労務整備です。 特に次の成...

問題社員の解雇、いつ踏み切るべきか?判断のポイントを解説

 企業経営において、いわゆる「問題社員」への対応は極めて慎重な判断を要するテーマです。安易な解雇は不当解雇として争われるリスクが高く、企業にとって大きな負担となり得ます。そのため、解雇を最終手段と位置づけた上で、段階的かつ適正な対応を積み重ねることが不可欠です。 まず前提として重要なのは、日常的な記録の徹底です。問題社員の言動や業務上の不適切行為、これに対する会社側の指導・注意の内容や日時、本人の反応などは、できる限り具体的かつ時系列で記録しておく必要があります。後からまとめて作成した記録は、どうしても正確性や客観性に疑義が生じやすく、訴訟等における証拠としての説得力を欠きます。日々の積み重ねこそが、適正な人事対応の土台となります。 その上で、解雇に踏み切るかどうかの判断にあたっては、複数の観点から総合的に検討する必要があります。 第一に、訴訟リスクの見極めです。解雇が争われた場合に、企業側が敗訴する可能性がどの程度あるのかは極めて重要な判断材料となります。この点については、労働問題に精通した弁護士の意見を踏まえ、法的な妥当性を慎重に確認することが求められます。 第二に、改善可能性の有無です。再三にわたり指導や注意を行っているにもかかわらず、改善の兆候が見られない、あるいは改善の見込みが乏しい場合には、雇用関係の継続が困難であると判断される可能性が高まります。逆に、一定の改善が見られる場合には、解雇の相当性は否定されやすくなります。 第三に、退職勧告への対応です。解雇に至る前段階として、退職勧奨を行うことが実務上一般的ですが、これに応じない場合は、次の対応を検討せざるを得ません。この際、一定の条件提示(解決金や有給消化等)を行うことも現実的な選択肢となります。 第四に、当該社員が組織に与える影響です。問題行動が職場の士気低下を招いたり、他の社員に不公平感や会社への不信感を生じさせている場合、放置すること自体が組織運営上のリスクとなります。個別の問題にとどまらず、組織全体への影響という観点からの判断も欠かせません。 第五に、解雇に伴う実務的負担です。解雇を行えば、それで問題が終わるわけではありません。本人対応、書面作成、場合によっては労働審判・訴訟への対応など、多大な時間と労力が発生します。弁護士に依頼したとしても、すべてを任せられるわけではなく、社内での対応...

自然治癒力と健康経営

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  30年近く前に買った本ですが、今でも時折ページをめくり自らの生活習慣を見直すきっかけにしています3冊の本があります(結果あまり見直せてませんが)。 いずれも統合医学のオピニオンリーダーであるアンドルー・ワイル博士の著者で「自然治癒」や「代替療法」に関する書籍です。表紙はやや色あせているものの、その内容は今読み返しても示唆に富んでいます。 これらの本に共通しているのは、「人間が本来持っている治す力=自然治癒力」に着目している点です。食生活や生活習慣、ストレスとの向き合い方など、日々の積み重ねが健康に大きく影響するという考え方は、現在の健康経営や予防医療の考え方にも通じるものがあります。 特に印象的だったのは、著者の次のような指摘です。 「現代医学に治せない病気を現代医学の医師に診せるべからず。現代医学が得意とする病気で代替療法の治療家を頼るべからず。」 やや強い表現ではありますが、本質的には「適切な領域で適切な手段を選ぶべき」というメッセージと受け取ることができます。つまり、万能な医療は存在せず、それぞれの特性を理解したうえで選択することが重要だということです。 現代医療は、急性期医療や外科的処置、感染症対応などにおいて極めて高い成果を上げています。一方で、慢性的な不調や生活習慣病、ストレス起因の症状などについては、薬や治療だけでは十分に対応しきれないケースも少なくありません。こうした領域において、生活習慣の見直しや代替的なアプローチが有効に機能する余地があります。 もっとも、代替療法については科学的根拠が十分でないものも含まれるため、無批判に受け入れることは避けるべきです。重要なのは、「何を信じるか」ではなく、「自分の状態に対して何が合理的か」を冷静に判断する視点です。 この考え方は、企業における健康経営にも通じるのではないでしょうか。 健康経営というと、健康診断の実施、長時間労働の是正、メンタルヘルス対策、休職・復職制度の整備などがまず思い浮かびます。もちろん、これらは極めて重要です。 しかし、本来の健康経営は、体調を崩した人への対応だけではなく、不調を未然に防ぐ視点まで含むものだと思います。睡眠不足、偏った食生活、慢性的な疲労、過度なストレスといった日々の小さな積み重ねが、やがて生産性の低下や休職、離職につながることは少なくありません。 つまり...

進歩という幻想と労務リスク ― 経営者が見落としがちな視点

 先日、哲学者  梅原猛 が約50年前に記した随筆「進歩という幻想について」を読み直す機会があり、現代を生きる私たちにとって、なお鋭い問いを投げかけていると感じました。 「いったい、歴史は進歩するのだろうか。近代という時代は、はたしてどこへゆくのであろうか。進歩のバスの行き先は、極楽であるのか、地獄であるか。」 この問いは、単なる抽象的な哲学ではなく、むしろ今の時代にこそ現実味を帯びています。 梅原はまた、日本の伝統芸能である 能 における「序破急」の概念を用いて、歴史のリズムを説明しています。すなわち、物事はゆるやかに始まり(序)、やがて加速し(破)、最後には一気に頂点へと達する(急)。そして彼は、現代の歴史がまさに「急」の段階にあるのではないかと指摘する。急速に進むリズムは、単なる発展の加速なのか、それとも終焉の前触れなのか——この問いは、私たちの足元を揺さぶります。 現代はしばしば「AI革命の時代」と呼ばれ、技術はかつてない速度で進歩しています。しかし、振り返れば、技術の進歩に対する懸念は常に存在してきました。テレビが急速に普及した際には、子どもへの悪影響が盛んに議論され、続いて家庭用ゲームの普及も、同様に問題視されました。そして今、スマートフォンは単なる連絡手段を超え、情報、娯楽、仕事のすべてを内包する不可欠な存在となっています。 しかしその一方で、スマートフォン依存や「ながらスマホ」による事故といった深刻な問題も顕在化しています。利便性の裏側には、常にリスクが潜んでいます。技術の進歩とは、決して一方向の「善」ではなく、光と影を併せ持つものです。 この構図は、企業経営や労務管理においても同様であるといえます。近年では、勤怠管理システムやAIによる人事評価など、効率化・高度化を支える技術が急速に導入されています。これにより、業務の正確性や生産性は飛躍的に向上しました。しかし、数字やデータに依存しすぎることで、人の感情や関係性といった重要な要素が軽視される危険性もまた高まっています。 労務管理は本来、「人」を対象とする営みです。どれほど技術が進歩しても、職場における信頼関係やコミュニケーションの重要性が失われることはありません。むしろ、変化のスピードが速い時代であるからこそ、人と人との関わりを丁寧に築くことが、組織の安定と成長を支...

競争と効率化の先に何があるのか ―国立大学法人化から学ぶもの

2004年の国立大学法人化から20年余りが経過しました。この制度改革は、大学に自律性と機動性を持たせ、競争原理を導入することで教育・研究の質向上を図ることを目的としていました。しかし、その背景には当時の政治・行政改革の大きな流れがあります。 法人化に至る直接の契機は、小泉内閣の構造改革です。行政のスリム化と効率化を掲げる中で、国立大学についても「国の直轄組織から独立した法人へ」と位置づけを転換する方針が打ち出されました。これを具体化したのが、当時の文部科学大臣のもとで進められた「遠山プラン」であり、「国立大学の再編・統合」「競争原理の導入」「第三者評価の徹底」などを柱として、大学改革が加速しました。すなわち、法人化は単なる制度変更ではなく、国の統治構造改革の一環として実施されたものです。 こうした背景のもと、法人化によって大学運営は大きく変化しました。学長の権限が強化され、意思決定の迅速化が図られるとともに、各大学は中期目標・計画に基づき、数値目標を意識した経営を求められるようになりました。また、外部資金の獲得や産学連携の推進など、従来よりも経営的視点が重視されるようになった点は明確な変化です。 一方で、財政面の影響は極めて大きい。運営費交付金は法人化以降、実質的に減少傾向が続いており、大学は慢性的な財源不足に直面しています。この結果、安定的な基盤的経費が圧迫され、特に基礎研究に充てられる資金が縮小したとの指摘が多い。競争的資金の比重が高まったことにより、短期的成果が求められる研究が優先されやすくなり、長期的視点を要する基礎研究が相対的に不利になっているとの懸念も根強い。 こうした構造変化は、研究力の指標にも影響を及ぼしています。日本の論文数や被引用数の国際ランキングは相対的に低下傾向にあり、研究力の地盤沈下が指摘されています。もちろん、その要因は法人化のみに帰することはできず、国際競争の激化や研究環境の変化など複合的な要因が絡んでいるが、基盤的経費の縮小が研究環境に与えた影響は無視できません。 また、人事・労務の面でも変化が見られます。人件費抑制の圧力の中で、有期雇用の増加や若手研究者の不安定な雇用が広がり、研究の継続性や人材育成に課題が生じています。大学の「経営化」は効率性を高める一方で、教育研究機関としての特性との間に一定の緊張関係を生んでいます。 さらに見過...

離職防止と人材確保の方策を再考する―多様化時代における「帰属意識」の再評価

 近年、「新卒者の3割が3年以内に離職する」と言われて久しく、この傾向は依然として大きくは変わっていません。加えて、少子化の進行と労働市場の構造変化により、企業は慢性的な人材不足に直面しており、採用活動は明確な売り手市場の様相を呈しています。結果として、多くの企業が人材確保に苦慮するとともに、採用後の離職防止にも力を注がざるを得ない状況にあります。 こうした中、離職防止策として主流となっているのは、個々の社員の価値観やライフスタイルを尊重するアプローチです。柔軟な働き方の導入、キャリア自律の支援、心理的安全性の確保など、「個」を尊重する施策が重視されているのは当然の流れといえるでしょう。価値観が多様化した現代において、一律の管理や画一的な制度では人材の定着は難しくなっているからです。 しかし一方で、こうした潮流とは一見相反するような取り組みが、一定の成果を上げている事例も見られます。それが、いわゆる「会社家族主義」とも言える施策です。具体的には、社員旅行や社内運動会、懇親行事などを通じて、会社を一つの共同体として捉え、社員同士の一体感や結束を高める取り組みです。これは高度経済成長期に多くの企業で見られた手法であり、現代では時代遅れと見なされています。 にもかかわらず、こうした「復古的」とも言える施策が、一部のベンチャー企業などにおいて離職防止に寄与している点は注目に値します。その背景には、現代特有の課題があると考えられます。すなわち、価値観が多様化し、個人が自由に生き方を選択できるようになった反面、「自分はどこに属しているのか」「何にアイデンティティを見出すのか」が曖昧になりやすいという側面です。 このような状況において、会社という組織が一定の帰属意識や一体感を提供することは、社員にとって心理的な安定や働く意味の再確認につながる可能性があります。特に若年層においては、単なる労働条件や処遇だけでなく、「どのような仲間と働くのか」「どのような組織に属しているのか」といった点が、職場選択や定着に影響を与えるケースも少なくありません。 もっとも、ここで留意すべきは、過去の会社家族主義をそのまま再現すればよいという単純な話ではないという点です。かつてのそれは、長時間労働や過度な同調圧力と表裏一体であった側面も否定できません。したがって、現代において取り入れる...

労働組合法上の労働者について

労働組合法(以下労組法)上の「労働者」は、労働基準法の労働者よりも広く認められるため、どこまでが労働組合法上の労働者に当たるかが争点になります。しばしば問題になるのは個人事業主が業務委託契約をしている場合や請負・委託契約のスタッフの場合です。 労組法においては「労働者とは」「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者」と定義されています。  労組法の労働者の定義は労働組合による団体交渉を助成するための同法の保護を及ぼすべき者はいかなる者かという観点から定義されており労働契約法及び労働基準法(以下労基法)における労働者の定義は労働契約法上の労働契約ルールや労基法上の労働条件を適用すべき者はいかなる者かという観点で定義されており労組法の定義とは明確に観点を異にしています。   労組法上の労働者は労基法上の労働者を包摂しつつ団体交渉の保護を及ぼすことが必要かつ適切な類似の労務提供者にも広げた概念であり労働契約下の労働関係に類似した労働関係(請負、委託等)によって「賃金」「給料」に準ずる報酬を得るものであっても、団体交渉の保護を及ぼす必要性と適切性が認められれば労組法上の労働者と認められると解されています。  労働委員会や判例でも業務委託契約者の労働性が認められたケースがあります。 ただ単に個人事業主や請負・委託契約のスタッフという理由だけで団体交渉に応じなかったりするのは不当労働行為に該当するリスクがあると言えます。 団交申入れが来たら、まずは「労働者性」を精査する • 契約書 • 実際の働き方 • 指揮命令の有無 • 報酬の性質 などを総合的に確認する必要があります。