答えを急がない力が組織を守る――労務管理におけるネガティブ・ケイバビリティ
ハラスメント対応、メンタルヘルス不調、職場内の人間関係のトラブル――。
労務管理の現場では、すぐに白黒をつけられない問題に直面することが少なくありません。事実関係が複雑に絡み合い、当事者間で認識が食い違うこともあります。そのような場面で、結論を急いだ結果、かえって問題を深刻化させてしまうケースも見られます。
一方、現代社会では「即断即決」や「わかりやすい答え」が過度に求められる傾向があります。しかし、現実にはすぐに答えが出ない問題も多く存在します。こうした状況に向き合う上で重要な考え方の一つが、「ネガティブ・ケイバビリティ」です。
ネガティブ・ケイバビリティとは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。あるいは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。これは19世紀の詩人ジョン・キーツが、ウィリアム・シェイクスピアの創造性の本質として見出した概念であり、その後、精神科医ウィルフレッド・ビオンによって再評価されました。近年では、教育や医療の分野でも注目されている考え方です(帚木蓬生氏著『ネガティブ・ケイバビリティ 答えの出ない事態に耐える力』より一部抜粋・要約)。
この考え方は、労務管理においても極めて重要だと考えます。
例えば、ハラスメントの申告があった際、「加害者」「被害者」と早々に決めつけてしまえば、公平性を欠き、新たな対立や紛争を生む可能性があります。メンタルヘルス不調への対応でも、本人の訴え、職場環境、業務内容など多面的な事情を丁寧に見極める必要があります。
また、「これはハラスメントに当たるのか」「休職を認めるべきか」「問題社員として厳格に対応すべきか」など、労務管理の現場では簡単に正解を出せない場面が少なくありません。法令上の基準は存在するものの、実務では個別事情を踏まえた判断が求められます。
近年は、インターネットやSNS上で「正解」や「唯一の正しい対応」を求める風潮も強まっています。しかし、実際の職場は企業規模、組織文化、人員構成、業務内容などがそれぞれ異なり、一般論だけでは対応できません。極端な意見や表面的なノウハウに飛びつくのではなく、自社の状況に照らして慎重に考える姿勢が重要です。
さらに、人材マネジメントの観点でも、ネガティブ・ケイバビリティは有効です。部下の成長や評価において、短期的な成果だけで結論を出すのではなく、一定期間見守ることが必要な場面もあります。配置転換後にすぐ成果が出ない社員や、一時的に不調に陥っている社員に対し、長期的な視点で可能性を見極めることが、結果として組織の安定につながる場合もあります。
重要なのは、「判断しないこと」ではなく、「判断を急がないこと」です。不確実な状況に耐える力は、決して消極的な態度ではありません。むしろ、冷静で成熟した意思決定を支える重要な力といえます。
特に労務問題は、感情的対立が絡むことも多く、拙速な判断が後の紛争リスクを高めることがあります。早く決めることよりも、適切に見極めることの方が重要な場面は少なくありません。
変化の激しい時代だからこそ、「すぐに答えを出す力」だけでなく、「答えが出ない状態に耐える力」をいかに養うかが、これからの組織運営において問われているのではないでしょうか。
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